人の気持ちなんて、理解できないものなんだ。



人を愛すべき



「なんで泣いているんだ?」

 なんて、安易なことを聞いてしまった自分が愚かだと思った。
確かにその時の俺は何も知らなかったけれど、そのたった一つの言葉で傷つくなんて思ってもみなかったのもまた事実だ。
 兄弟は雨に打たれて落ち込んでいた。いや、何も出来なかったことに無力さを感じているのだろうか。そして何故俺の元へ来たのだろうか。誰かに励ましてもらいたかったからか?
例えそれが理由であろうと、俺はこいつらを追い返すことなんて出来なかった。数少ない同胞であると同時に、今のままの二人を無視しているわけにもいかない。

「なっ…泣いてなんか…っ…」

 エドワードの言うとおり、涙なんて流していないけれど。

「いいや、お前は泣いているよ。…ここで」

 そう言って、ヴィリルは己の胸に手を立てた。掌越しに感じられる鼓動が、一定の間隔で動いている。
 自分も涙なんて感情はとうの昔に忘れていた。最後に泣いたのはいつだっただろうか。確か、弟が病気で死んだときだ。弟が幼いときに両親は死に、家族は弟だけだった。
 だから泣いた。悲しかった。苦しかった。
 きっとこの兄弟は泣けないだけで、その気持ちは一緒だろう。人が死んだ――いや、正確に言うと死んではいないが――という結果は何にも変えられない。

「あー…俺はお前らに何も言ってあげられないぜ?何も知らないし」

「――ショウ・タッカーって分かりますか?」

 口を開いたのはアルフォンスだった。エドワードは喋れる様子ではない。

「綴命の錬金術師、だな。合成獣の研究していた」

 名前ぐらいは聞いたことがあった。会ったこともないけれど、合成獣の研究には少なからず興味があったからだ。研究する気はないけれど。

「タッカーの娘さん…ニーナっていうんですけど、彼女と犬の…アレキサンダー…。あの人は、彼女達を…」

 続きは、言わなかった。言えなかったのだろう。
言ってしまったらまた怒りを思い出すから。抑えきれない怒りを、ヴィリルに向けてしまうと思ったから。

「言いたい事は分かった。でもさ、ここにいても何も始まらない。 確かに俺は軍の人間だ。だけどそれはお前も同じ。軍に入った以上軍には逆らえない。
彼女達のことは軍に任せるしかない。ただそれだけ」

 ヴィリルは感情もこめずに、棒読みのように言う。それに対してエドワードはヴィリルの襟元を掴んだ。身長差があるせいで、それは結果的にエドワードが見上げる形になる。

「知らないからそんなことが言えるんだ!お前は…ヴィリルは何も知らないからっ!!」

「ああ。俺は何も知らないさ」

 見下すわけでもなく、睨むわけでもなく、ヴィリルはエドワードを見ていた。赤い瞳が血を連想させる。
 先に目をそらしたのはエドワードだった。エドワードは居ても立ってもいられなくなり、駆け出していた。バンッと壊れんばかりの勢いで扉が閉まる。アルフォンスも一礼して、その後を追っていった。

「…知らねえよ…お前らの気持ちなんて…」

 ヴィリルは静かになった部屋で一人、呟いた。




 翌日の天気も、どんよりとした空模様だった。
 あれから一睡もしていない。眠られなかったわけではない。ただ単に寝るという行為をしなかっただけ。

「雨が過去を流してくれる。誰がそんなことを最初に言ったんだろうな。
だけど俺は流してもらおうなんて思わない。 だって過去は過去だから。簡単に流せるものじゃないから」

 誰に聞かせるわけでもなく、ヴィリルは言う。
雨が窓を打ちつける。そのせいでほとんど外は見えない。

「…ロイのところへ行ってみるか」

 二人のことも気になる。それにアルフォンスの話のことも。
 ヴィリルは傘も持たずに、暗い街の中へと姿を消した。