いつしか戦う術は忘れてしまうだろう



この身体さえあれば戦える



 街の人通りはほとんどなかった。おかげで傘を差していなくても、変な目で見られることはなかった。
 司令部まではそう遠くない。簡単に歩いていける距離である。だけど自分で赴くことは滅多になかった。だから司令部までの道のりはどこか懐かしさ共に、初めてという感覚もある。
 コンクリートは雨に濡れ、さらに灰色を濃くしている。灰色にしか見えない自分が見ると、乾いた地面との色素の違いがはっきりと分かる。こんなことが分かっても全く嬉しくないのだが。

「ヴィリル!?」

「雨の日に何やってんだよ」

 それはこちらのセリフだといわんばかりにロイはヴィリルの方を見ていた。

「エルリック兄弟を知らないか!?」

 何かが起きた。
ロイの様子からも、周りの兵の状態からもそれは一目瞭然だった。

「…何があった?」

 いつもの声のトーンが違った。それは無意識のうちになってしまったのだろう。よく見れば、表情まで変わっている。
 赤い瞳が鋭くロイを射抜く。

「スカーという国家錬金術師だけを狙う殺人犯が出た」

 戦力が欲しいのは確かだった。豪腕の錬金術師、アームストロング少佐もいるが、兵は少しでも多いほうがいい。
 例え国家錬金術師を狙う殺人犯でも、国家錬金術師が三人…いや、エドワード・エルリックもいれたら四人も揃い、軍兵が多数いるのだ。追い詰められると考えた。

「手伝え、だな。その目は」

 口の端をあげて笑う。ロイもそれを見て同じように笑った。

「俺は先に行っているよ」

 そう言って、今来た道を走った。雨はさらに強くなっている。




 音が聞こえた。
 声が聞こえた。

「兄さん!!」『…兄さん』

 その叫びと共に、雷が鳴る。
 声が重なる。
 記憶が蘇る。自分も弟を持つ兄だったのだ。

「エドワード・エルリック…無事でいてくれ…!」

 同じ思いをさせてはいけない。兄弟を失う気持ちを知ってはいけない。
 だから走る。
 これ以上の犠牲者はいらないから。自分ひとりで十分だから。
 兄弟を失う痛みを知るのは自分だけで十分だから。

「やめろおおおぉぉおおおぉ!」

ドン!

 銃声が轟く。
 どうやら車で現場に向かっていたロイたちの方が先に着いたようだ。銃声の聞こえたほうへと向かった。

「大佐!…ヴィリル!?こいつは…」

 失った右肩を押さえ、エドワードは驚いた表情でこちらを見た。
 生きていた。
 ヴィリルは乱れた呼吸を整え、ロイの横へ並んだ。そして傷の男を見る。褐色の肌に顔の傷、目撃証言どおりの人物である。

「その男は一連の国家錬金術師殺しの容疑者…だったが、この状況から見て確実になったな」

 銃を構えたまま、ロイはエドワードに言う。

「タッカー邸の殺人事件も貴様の犯行だな?」

 確認するように問うと、先に反応を示したのはエドワードだった。両親を殺された子供のように、彼を睨む。
 ヴィリルは何も言わない。

「…錬金術師とは元来あるべき姿のものを異形の物へと変成する者…。それすなわち万物の創造主たる神への冒涜。
我は神の代行者として裁きをくだす者なり!」

 間違ってはいない。だけど間違っている。
それが間違っていないのなら、神への冒涜と言うのならば、どうして神様は錬金術師という存在を作った?

「それがわからない。世の中に錬金術師は数多いるが、国家資格を持つものばかり狙うというのはどういう事だ?」

「……どうあっても邪魔をすると言うのならば、貴様も排除するのみだ」

 ロイの問いには答えず、スカーは言う。
まだ、ヴィリルは何も言わない。ただ事の行く末を見ているだけ。

「…おもしろい!」

「マスタング大佐!」

「おまえ達は手を出すな」

 銃をホークアイに預け、自分は発火布を手にはめる。己の攻撃手段として。スカーと戦う術として。

「マスタング…国家錬金術師の?」

 すべての国家錬金術師の名前を把握しているのだろうか。スカーはマスタングの名前に聞き覚えがあり、それがすぐに国家錬金術師の名と結びついた。

「いかにも!『焔の錬金術師』ロイ・マスタングだ!!」

「神の道に背きし者が裁きを受けに自ら出向いてくるとは…今日はなんと佳き日よ!!」

 スカーは構える。完全に彼を敵と判断し、神の代行者としてロイを殺すことを決意している。彼には威圧感があった。ただ身体が大きいというだけでない。己の信念が、憎しみが、彼を動かしているのだ。

「私を焔の錬金術師と知ってなお戦いを挑むか!!」

「愚か者め!!」

 お互いが向き合う。

「大……」

 ホークアイが叫ぶと同時に、上官に足払いをかける。それによってロイはスカーの攻撃を避けることが出来、ホークアイはスカーに何十発と弾を撃ちこめた。
しかしその攻撃は当たらない。

「いきなり何をするんだ、君は!!」

「雨の日は無能なんですから下がってください!大佐!」

「あ、そうか。こう湿ってちゃ火花出せないよな」

 追い討ちをかけるようにハボックの言葉がロイのプライドを傷つける。分かっていても、直せない欠点である。

「ロイ、下がってな。あいつが来る」

「…ヴィリル」

 やっとの思いで口を開く。まだ記憶が、頭の中で渦巻いているが。
このままではロイもエドワードも死んでしまうと思った。もう人は死なせない。誰も悲しませない。
―――だけど自分は戦うことを恐れている。

「国家錬金術師!そして我が使命を邪魔する者!!この場の全員滅ぼす!!」

「やってみるがよい」

 聞きなれない、新しい声。
 その声とともにおこる破壊音。スカーは不意打ちにも冷静に対処し、声の主の攻撃をあっさり避けた。

「む…新手か…!!」

 飛び散る石が、雨とともに鬱陶しい。

「ふぅーむ。我輩の一撃をかわすとは、やりおるやりおる。
国家に仇なす不届きものよ。この場の全員滅ぼす…と言ったな」

 自然と、周りの表情が変わる。最初は増援で歓喜の表情を浮かべていたものも、それは、別の意味で嫌悪の表情となる。

「笑止!ならばまず!!この我輩を倒してみせよ!!」

 この状況に、さらに落ち込むロイの姿が目に入った。

「この『豪腕の錬金術師』…アレックス・ルイ・アームストロングをな!!」

 誰よりも派手な登場シーンをした。もちろん修理費は軍持ちであるのだが。
 ヴィリルも思わず笑ってしまう。彼という人物を知っていても、どうしてみ笑わずにはいられなかった。不謹慎だとは思ったが。

「…今日はまったく次から次へと…。こちらから出向く手間が省けるというものだ。
これも神の加護か!」

 サングラス越しに見開かれる瞳。復讐が、彼を再び動かす。
 アームストロングは先ほど自分で破壊した石を空へと投げる。それを準備体操でもするかのように、利き腕である右肩をまわし、タイミングを合わせるように拳を前へ突き出した。

「わがアームストロング家に代々伝わりし芸術的錬金法を!!」

 拳は石に当たって錬成の光を出し、形を変えた。槍の先端のような金属が、さらに勢いを増してスカーへと飛んでいく。
それを何事もなかったかのようにスカーは避け、石は壁へと突き刺さる。そして今度は地面へと拳を落とした。地面の下から何かが錬成されたかのように、地面に沿って錬成物がスカーに命中する。それも右手一本で破壊する。
 錬成しては、破壊され。それの繰り返しだった。

「少佐!あんまり市街を破壊せんでください!」

「何を言う!!破壊の裏に創造あり!創造の裏に破壊あり!破壊と創造は表裏一体!!」

 そして何故か上着を脱ぐ。

「壊して創る!!これすなわち大宇宙の法則なり!!」

「て言うか、なんてムチャな錬金術…」

 スカー以上の威圧感…というより存在感である。

「なぁに…同じ錬金術師ならムチャとは思わんさ。そうだろう?スカーよ」

 その言葉に、何故かヴィリルが反応した。

(そっか。あいつは弟のほうなんだ)

 見覚えがあった。彼を知っていた。戦乱の地で彼を見た。
 …イシュヴァールの兄弟を。
 自分は殺せなかった。兄弟の絆を知っていたから。
 彼がここにいるヴィリルという、国家錬金術師に気付いたら、どんな顔をするのだろう。
なぜだかそれが楽しみだった。狂っていると言われてもおかしくないと思った。

「錬金術の錬成課程は大きく分けて『理解』『分解』『再構築』の三つ」

 ヴィリルが言う。呟くように、何かを考えるように。

「なるほど。つまり奴は二番目の『分解』の課程で錬成を止めているという事か」

 ちょうどその説明を実行しているかのように、石を破壊しているスカーが目に入った。彼は右手一本でそれを行っていることから、腕か何かに錬成陣が書かれているのだろう。

「自分も錬金術師って…。じゃあ奴の言う神の道に自ら背いているじゃないですか!」

「ああ…しかも狙うのはきまって国家資格を持つものというのはいったい…」

「まだ気付かないのか?」

「…?」

 その言葉は、イシュヴァールの民だと気付かない大佐に向けてだったのか?それとも自分に気付かないスカーに向けてだったのか?
 彼はただスカーだけを追っていた。勝敗なんてどうでもよくなってきた。アームストロングが死ぬなんて事はありえない、それを分かっているからだろうか。
ちょうどそのとき、大振りになって隙が出来たアームストロングの懐に攻撃をしようとするスカーがいた。
だけどそれも効かない。
アームストロングは分かっているのだ。身体が大きく、己の身体を使って戦うことの欠点を。戦いなれているから、その弱点を知り、克服できることを。

ドン!

 再び銃声が轟く。その音でヴィリルは我に返った。

ドン!ドン!ドン!ドン!

 五発の銃声も、当たったのは一発だけ。それもかするだけにとどまる。
サングラスをなくし、あらわになった瞳。それはおそらく自分と同じ色をしている。

「イシュヴァールの民か…!!」

 事実を知るもののみが表情を変える。ロイのその言葉で、この場にいる全員が言葉を失った。
戦乱に参加していないエドワードも、事実を知っているから何も言うことが出来なかった。

「…やはり、この人数を相手では分が悪い」

「おっと!この包囲から逃れられると思っているのかね」

 ロイの右手が上げられる同時に、憲兵が銃を構える。銃の名手であるホークアイの銃で当たらなかったのだから、一発でも当たればいいほうだ。
 スカーは右手を翳して、そのまま地面へと手のひらを落とした。
ゴバァと大きな音をたてて、スカー周辺の地面が崩れる。何人かが落ちそうになるのを、周りが必死に救出していた。

「逃げられたな」

 ヴィリルは苦笑して、ロイの元へ駆け寄った。そこにはヒューズも含めたイシュヴァールの戦乱を知る者達が集まる。
 少し離れたところで、エルリック兄弟の兄弟喧嘩が行われている。
羨ましいという気分とともに、懐かしさもあった。昔、ああいう出来事もあったと。

 二人の「生きてる」とい言葉が、妙に耳に残った。