ただ理由もなく逃げ出すのではない。 理由があるから、逃げるんだ。 よろいのからだ (やはりそうするか) エルリック兄弟が、宿の窓から抜け出している。予想していた事態が本当に起き、思わず声に出して笑いそうになった。しかしここで声を出してしまったら、エルリック兄弟に簡単に見つかってしまうだろう。今まで隠れて待っていた時間が無駄となり、彼らにとっても迷惑である。 本当だったら彼らの後をつけるなんて真似はしたくはなかった。暗号の答えを知り、そしてその結果出てきた真実さえ分かっていれば、先回りすることも可能だった。むしろそうしたかった。だが運命はそれを許さず、ヴィリルには情報が与えられなかった。 仕方なくエルリック兄弟が行動を起こすと思われる深夜まで待ち、後をつけている。 (一緒に解読すればよかった) 解読する権利がないなんて、意地を張らずに共に暗号解読をしていれば、このような事態にはならなかった。 (後悔ばっかしてるな、俺) 昔からそうだ。アレをやっておけばよかった、あの時こうしてればよかった。そんなことばっかりが頭に思い浮かぶ。人体練成も、国家錬金術師になったことも。 「でも、それが俺か」 そう、それがヴィリル・リベルテなんだ。変えようがない自分自身。 思わず声に出してしまった。ああ、また後悔してる。 「第五研究所?」 エルリック兄弟に行き着いた先は、軍の施設の一つである第五研究所であった。しかし、ここはすでに使われていない研究所であったはずだ。だが明かりもついていれば、門番もいる。実際に使用されている研究所では当たり前の光景であるが、使われていない研究所であれば、当たり前ではない。 つまり、使われていない研究所、という名目で何かが行われている。それも賢者の石に関わる何かが。 「有刺鉄線か」 彼らは裏に回って塀を登っていった。それは機械鎧だからこそ出来る侵入方法であった。アルフォンスが塀を登るのに使用した有刺鉄線が塀から伸びてはいるが、あいにく自分のつけている手袋は布製で有刺鉄線を触るのには適していない。皮手袋を練成しようにも、皮製品は身につけていなかった。要するに、生身の身体であるヴィリルは、同じ場所からの侵入は出来ない。錬金術で扉を作ることも考えたが、練成反応の光で門番に気付かれても厄介だ。きっとエルリック兄弟もそう思った結果の侵入方法なのだろう。 後をつけるのは簡単だったが、思わぬところでの落とし穴だった。運命と言うものは、そこまでして自分を賢者の石から遠ざけようとしているのか。 ドドン!!! いっそのこと、錬金術で扉を作ろうか、そう思った矢先であった。塀の向こうから何かが叩きつけられたような、地割れが起きたかのような大きな振動音が聞こえた。 「誰だ!」 アルフォンスの声が聞こえる。 「…?」 続く声は聞こえない。思ったより遠くからの声であったらしい。 (この音じゃ、さすがの門番も動いているだろう) 先ほどの地割れのような音で、侵入者がいることは察しただろう。それならばもう、ここで何か騒ぎを起こしても問題はない。いや、問題はあるだろうが。 ヴィリルは首に掛けてあるシルバーのネックレスを一度触る。そしてその後、塀に手を付けた。すると、雷のような練成反応の光が発せられ、コンクリートの何も無い壁が扉へと変化した。ただの塀が、扉へと練成されたのだ。 「アルフォンス・エルリック!」 勢いよく扉を開け、そこで最初に見えたのは全身機械鎧が二つ。一つはついさっき声が聞こえたエルリック兄弟の弟であった。もう一つは片手が刃になっていて、頭に66と書いてある見たことがないものだった。 「ヴィリルさん!?」 「おっとよそ見するなよ?」 アルフォンスが一瞬こちらを見た隙に、もう一方が機械鎧の刃でアルフォンスを攻撃する。しかしそれを腕部分の機械鎧の接続部で受け止める。そしてそのまま力を入れることで刃を折った。刃が折られたことで相手は油断をし、その隙にアルフォンスは空いている左手で相手の顔面を殴る。 「野郎…頭が落ちちまったじゃねえか」 「その身体…!」 頭部分の鎧が落ちた。しかしそこにはあるべきはずの人の姿は無かった。 鎧は頭を拾い、身体に嵌めなおす。そして勝手に昔話を語り始めた。バリーと言う肉屋の話である。ヴィリルは聞いたことがある気がした。中央で何人もの人間を切り裂いた殺人鬼がいて、最終的には絞首刑になったという話である。だが真実は絞首刑で死刑されたのではなく、肉体を取り上げられ、魂のみ鉄の身体に定着をさせられた。その殺人鬼が今、アルフォンスとヴィリルの目の前にいる全身機械鎧の男、バリー・ザ・チョッパーであるらしい。 「僕、田舎の生まれだから中央で有名だった人殺しの話なんて知らないし」 「へえ…中央はそんなこともやってるのか」 「なんで!なんでお前らはそんな冷静なの!?この身体見てリアクションないの!?」 「だってさ、アルフォンス・エルリック」 「ぎゃー!!!!」 ヴィリルに促され、アルフォンスは鎧の頭を上に持ち上げた。もちろんそこには人の姿は見られない。 「わー!なんだその身体!!変態!!!」 「ううっ…傷つくなあ…」 「なんでェ死刑仲間かよ…。ビビらせやがって」 「僕は犯罪者じゃなーい!」 「…まるでコントだな」 「だからなんで冷静なの!?てかお前誰!?」 「ああ、自己紹介してもらったし俺も名乗らなきゃか」 このまま傍観しているのも面白いかな、そう思っていたが、またも思わず声に出してしまった。しかしそれもあくまで冷静に。驚きはあったものの、声をあげてまでの驚きは無かった。 「俺はヴィリル。通りすがりの錬金術師」 「こいつの仲間か?」 「通りすがりだって。でかい音がしたから気になって来てみた」 「名前を呼んでいた気がするがまあいい。で、お前はなんでそんなナリしてんだよ」 生身の身体を持っている、刃で切り甲斐のあるヴィリルより、興味の対象はアルフォンスのほうにあるようだった。 「…ちょっと訳ありでね。生身の身体が消失した後に、僕の兄が魂の練成をしてくれたんだ」 アルフォンスも、先ほどのバリーと同じように頭を嵌めなおす。それを見たバリーは一瞬時が止まったかのように固まったが、すぐに声をあげて笑い出した。その笑い方は人を不快にさせるような、馬鹿にしたような笑い方で。 「何?」 「いや悪ィ悪ィ。ところでおめェ兄貴を信頼しているか?」 「当たり前だよ。命がけで僕の魂を練成してくれたんだもん」 「おうおう、兄弟愛ってのは美しいねェ…たとえ偽りの愛情だとしても」 機械鎧だから表情に変化は無い。しかしその顔は、悪巧みをしている子供のように笑っているようだ。 「…どういう意味?」 アルフォンスの声も、いつもよりトーンが低い。今ここで口を挟むと、余計にややこしくなりそうなので、ヴィリルは黙って聞いている。しかし先ほどの冷静な表情は、少しではあるが、崩れてきている気がする。 「おめェら、本当に兄弟なのかって事よ」 「むぅ…そりゃ性格が違いすぎるとか、弟の僕の方が身長高いとか言われるけどさ…」 「いやいやそう意味じゃなくて…」 兄弟だからと言って、身長が兄と弟で差があったり、性格が違うのはよくあることだ。逆に同じ性格であるほうが気味が悪い。双子であっても、同じ身長同じ性格になるとは限らないのだから。 「おめェよ…その人格も記憶も兄貴の手によって人工的に作られた物だとしたらどうする?」 アルフォンスの愕然とした表情が感じ取れた。一瞬ではあるが、瞳が揺らいだのをヴィリルは見逃さなかった。身体こそは機械鎧で大きいが、ヴィリルからしてみればまだまだ子供だ。そんなことを赤の他人に、ましてや同じ機械鎧を持つものに言われたら動揺するに決まっている。 「そっ…そんな事があってたまるか! 僕は間違いなくアルフォンス・エルリックという人間だ!」 その発言に対して、バリーは再び声をあげて笑う。 「魂≠ネんて目に見えない不確かな物でどうやってそれを証明する!? 兄貴も周りの人間も、皆しておめェをだましてるかもしれないんだぜ!?」 「やめろ!」 これ以上は黙って聞いているわけにはいかなかった。先ほど扉を練成した時と同じように首のシルバーのネックレスに左手で触れる。すると今度はシルバーのネックレス自体が練成反応の光と共に形を変え、銀色の短剣へと変わった。 ヴィリルは短剣を左手でしっかりと握り、バリーへと突進した。 「邪魔だ!!」 力はバリーの方が上であった。バリーはヴィリルの短剣を片手で受け止め、そのまま振り抜く。その風圧がヴィリルの左腕を微かに裂いた。そしてバリーはヴィリルに向かって突進をして身体をぶつけてきた。機械鎧と人間の身体では、鎧のほうが重量がある。ヴィリルは簡単に吹き飛ばされ、咄嗟に受身の態勢を取ったが、地面に思いっきり身体を叩きつけられた。腕からは血が流れ出る。 「…痛っ…」 「ヴィリルさん!」 バリーは何事も無かったかのように続ける。 「おめェという人間が確かに存在していた証は!? こいつだっておめェをだましているのかもしれない!!」 「…じゃああんたはどうなんだ!!」 アルフォンスは叫びながら、吹き飛ばされたヴィリルの元に駆け寄る。背中を支えられながら、ヴィリルは立ち上がった。 「そこの者動くな!!ここは立ち入り禁止になっている!!」 聞こえた声は、入り口にいた門番だった。銃を構えている。なんてタイミングが良いのだろうか。侵入者に気付くのはいささか遅いようだが。 「すみやかに退…」 「うるせェよ」 それが門番の最後の言葉であった。最後まで言うことも許されず、バリーの刃が彼の顔面を襲う。そして容赦なく門番を切り刻み、血が飛び交った。それは彼が紛れもなくバリー・ザ・チョッパーであったことを証明しているかのような出来事だった。 「『じゃああんたはどうなんだ』だと?…簡単なことだ!!」 刃についた血が、ポタポタと地面に垂れる。 「オレは生きた人間の肉をぶった斬るのが大好きだ!殺しが好きで好きでたまんねェ!! 我殺す故に我在り!! オレがオレである証明なんざ、それだけで十分さァ!!!」 …狂ってる。殺人鬼なんだから、狂っているのは分かっている。 しかしバリーは今まで見た人間の中で、一番狂っていると思った。イシュヴァールの内乱でも狂った人間はいたが、それ以上に狂っている。 ただ人を殺すだけでなく、精神的にも惑わそうとしている。 「大丈夫か、アルフォンス・エルリック」 今まではバリーの言葉に反応していたアルフォンスであったが、今度ばかりは何も反応が出来なかった。かなり動揺していることが、ヴィリルを支える手が震えていることで分かる。正確な年齢こそは知らないが、まだ十四か十五ぐらいだったはずだ。その年齢にしては色々なものを背負いすぎている。 「認めちまえよ。楽になるぜ?」 「くっ…」 とどめの、一発だった。ヴィリルを支える手が離れ、アルフォンスに体重を預けていたヴィリルは膝をついた。その瞬間、バリーの刃を持ってない手がアルフォンスの鳩尾を突く。 ヴィリルはアルフォンスのことより自分のことだった。生身の身体である自分は、あの刃にやられたら一発で死に至る。今度は確実に切り裂くぐらいの勢いで刃を振り回してくるだろう。アルフォンスがバリーに突かれ膝を付いた時、横に転がりバリーから距離を置いた。転がった後が血で汚れている。 バリーもヴィリルの方に目をやったが、やはり狙いはアルフォンスのようで、すぐに視線は戻る。 「げははははは!!スキだらけだぜデカブツ!!」 ドドン!! 先ほどの地割れのような音ではない。銃が発砲された音であった。 「動かないで!」 女性の声であった。 「次は頭を狙います。おとなしく大きな鎧の人と黒髪の人をこちらへ渡してください」 ロスとブロッシュであった。エルリック兄弟がいなくなったのを発見し、追ってきたのだろう。額には汗が滲んでいる。 「なんだおめェら」 「その人の護衛を任されている者です」 「ああ、くそっ。護衛ふぜいがいい所でジャマしやがってよ!」 こちらとしては、大助かりだ。一秒でも遅かったら、アルフォンスがやられていた。アルフォンスがやられてしまったら、ヴィリルもやられていただろう。先ほどの一瞬刃を交えただけでも、力の差は歴然としていた。 「面倒な事になっちまったな…」 バリーにしてみれば、四対一の状況である。いくら疲れ知らずの身体だといっても、この状況では分が悪い。言葉に先ほどまでの覇気はなく、戦意も喪失したように感じ取れた。 「この音は…」 ズズズズズと微かな、音。 ズドン!!!! 建物の中から大きな爆発音が聞こえた。その大きな音と同時にドドドドドと何かが崩壊するような音が断続的に続く。 「軍曹!!退避よ!!!」 「兄さんが!」 ロスの言葉を遮るように、アルフォンスが叫んだ。そういえばエドワードの姿がない。今更ながらに気付いた。 「どこへ行くの!」 「兄さんがまだ中にいるんだ!はなしてよ!」 ロスがアルフォンスの腕を掴むが、ロスの小さな腕ではアルフォンスはびくともしない。 「バカな事言わないで!巻き込まれるわ!」 すでに建物の崩壊は始まっていて、建物の破片があちこちに降ってきている。ヴィリルも血が抜けて意識が飛びそうながらも、逃げるために立ち上がった。 逃げなくては。 ここで死ぬわけにはいかない。 「ちわーっス。荷物お届けにあがりました」 「兄さん!」 砂煙の中から、ヘソを出した少年が現れる。肩にはエドワードを担いでいた。今の状況には似つかわしくないほどの明るい声である。 「命に別状は無いけど、出血が酷いから早く病院に入れてやってね」 エドワードをロスに預ける。 「ほんとにもうあんまり無茶しないように、あんた達しっかり見張っててよね。 貴重な人材なんだからさ。赤目のお兄さんも」 「…エンヴィー。なんでお前が」 ヴィリルの呟きは、ロスやアルフォンスの耳には届かなかったようで。エンヴィーはヴィリルの方へと振り返り、口の端を上げて笑った。そして声を出さずに口を動かす。 それを見たヴィリルの顔は一瞬にして変わった。今までずっと冷静で、あまり感情を露にしなかったが、エンヴィーの言葉によって変わった。 あんたの弟は生きてるよ そこで意識を失った。 ← 戻 → |