時が流れていく中で、自分だけが止まっていた。




動き出す時の流れ




グレッグミンスターの町並みは、三年前と変わりない。
人々の平和な笑い声、木々の香り、静かで穏やかなその町は、ただ自分と云う存在がないだけで、何も変わっていない。
平和、これもレパントのおかげなのだろう。自分が統治していたら、こうもいかなかったかもしれない。

「…変わってないんだな」

少し寂しい気持ちと同時に、嬉しさもあったのかもしれない。
自分だけ取り残されていたのではないかという不安。自分だけが三年前と変わらずにいるのではないかという…。
でもここ、グレッグミンスターもあまり変わっていなかった。

「そうかもね。ここは…変わってない」

時が流れていないかのように。
二人はそんな町並みを見ながら、城へと向かった。かつての同胞、そしてルックにとっては現在の同胞がいる場所へと。




レキは町の中ではかぶっていなかった外套に付いているフードを、深くかぶっていた。
町は普通に歩けたとしても、城の中まではそうはいかない。城の兵士の大半が、解放軍で共に戦った兵士たちなのだ。自分の姿を見られて騒がれてはたまったものじゃない。
しかしルックはそんなレキを横目に平然と歩いていた。仮にも、解放軍で魔法隊を指揮していた人物の一人でもあるのだが。

「ルック…。なんか余計目立ってる気がするんだけど…」

レキが少しフードから顔を出し、辺りを見回す。
当たり前のごとく目立っている。回りの視線が、自然とレキとルックのほうへと向けられていた。
それでも平然とルックは歩いている。

「姿を晒したほうが、目立たないんじゃない?」

「…冷たいこと言わないでよ」

グレッグミンスターの城内はそう広くない。真っ直ぐに謁見の間へと向かっていくと、あっという間にたどり着く。
謁見の間では、跪くルイの後姿が見えた。どうやらナナミとビクトールはいないようだった。おそらくリュウカンの元にいるのだろう。
ルックは謁見の間に入る直前で立ち止まった。レキが付いてきていなかったからだ。振り返ると、レキは数メートル後ろで俯いて立っている。

「何してんのさ」

「…やっぱり無理だよ」

いまさら何を、というルックの視線が痛かった。
覚悟は出来ていたけど、いざそれを実行するとなると足が動かない。自分でも何しているのかわからない。ただ身体が拒絶するのだ。

「どうして君はいつもそうなのさ」

「どうしてだろうね」

笑ってごまかそうとするレキの目の前に、ルックの姿があった。怖気づいている間に、歩み寄ったのだろう。
ルックはいつになく真剣な瞳で自分を見ていた。

「じゃあ帰れば?」

「…ごもっともな言葉だね。だけど、行くよ。だからルックは背中を押して?」

「はあ?」

言葉の意図が掴めず、思わず顔をしかめる。いつものルックの表情だ。

「ルックが背中を押してくれれば僕の足は前へ出る。そうすればきっとレパントのところへ行ける、僕は前へ進める」

馬鹿なこととは思ったけれど。
一人の力であそこまで行くのは無理だった。自分が逃げた場所。ここにはいろんな想い出があったけど、ここに、この場所に、自分がいるのはいけないことだと思った。

「…分かったよ」

と言って、ルックはレキの背中の方へと回った。
そして軽くポンッと押すと、レキの右足は一歩出る。そしてレキはそのまま一歩一歩前へと踏み出し、歩き出す。ルックもその後を追った。

「ではしばし滞在されるとよい」

「ありがとうございます」

ちょうど謁見が終わる頃だったのか、ルイは立ち上がって礼を言っていた。

「かっこいいね、レパント。僕なんかがやるよりずっと」

皮肉をこめた、レキの言葉が響く。

「僕はやっとここまで来れたよ」

ザワザワと騒ぎが起こる。ルイは目を見開いてコチラを見ている。彼はたぶん、自分の正体に気付いている。わざわざ説明するまでもないだろう。
一方レパントは大統領とは思えない顔でコチラを見ている。口をポカンと開けていて、少し馬鹿みたいだった。

「レ、レキ殿…か…?」

やっと出てきたその言葉。先ほどルイに言ったような、威厳のあるものではない。

「久しぶりだね、レパント大統領」

やや間があって、フードをはずす。そこには確かにレキ・マクドールその人がいた。変わりのない姿は、三年前の彼を思い出させる。
意志の強い紫の瞳は今も健在で。彼の言葉、そしてその強さに幾度となく助けられた。
例え、一番辛いのがレキだったとしても。
レパントはレキ以上に強い人物はいないと思ったぐらいだ。

「だ、大統領なんてつけなくてかまいません!むしろ今この時だってレキ殿にこの座を渡したっていいくらいです!!」

その慌てぶりに、一同が笑いをこらえる。こんなに慌てているレパントなんて、めったに見られるものではないだろう。三年前だって、こんなことはあっただろうか。

「僕はそのためにここに来たんじゃない。…確かに前へ進むためにここへ来たんだけどね。僕は自分の家に帰るためにグレッグミンスターに帰ってきたんだ」

レパントを見つめる真剣な眼差し。
ルイはそれに見惚れていた。山道に残ると言ったときは耳を疑ったが、確かにこの人は今、ここにいる。どうしてだろうか、なにか先ほどとは違う覇気が感じられる。自分とは違う何かが。
これが解放軍をまとめたリーダー…英雄と言うものの覇気なのだろうか。これほどまでに身体が震えるほどの力を感じたのは、ルカ・ブライトと対峙したとき以来だ。
そしてレパントがこんなにも慌てているのを見ていると、相当の実力者と言うのがわかる。だから、だから一度話してみたいと思った。もっと傍に近づきたいと思った。

「ルイ…だっけ?同盟軍のリーダーさん。トランとはもう同盟を結んでるんだっけ」

「え…あ、はい。少し前のことですけど…」

「もしよかったらうちに来ないかい?ビクトールとナナミもつれてさ」

にっこりと笑ってそう言われると断れない。
ましてやレキの頼みなのだ。断れるはずがない。むしろこっちから願いたいくらいだ。

「じゃあレパント、また機会があったらくるよ」

「今度来たときは…」

「そう言うんだったら二度と来ないよ?」

何も言っていないのに返され、レパントはがっくりした。別にこの仕事が嫌いというわけではない。だけど好きというわけでもなかった。本当だったらコウアンでアイリーンと共に暮らしていただろう。もしくは、シーナも一緒に。
だけど今は職務に追われ、あまり休める時間もない。さらにこの時世だ。同盟軍とハイランドの一騒ぎが終わるまでは、なかなか休めるものではないだろう。

「…わかりました」

「早く行かないかい?ここはあまり好きじゃない」

「そういうことだからさ、僕は帰るよ」

「ええ。また来てください」

最後はすっかりと大統領らしさを取り戻していた。
レキは懐かしさと名残惜しさを持ったが、ここにはもう用がない。コウの安否だけを知りたかっただけなのだから。
コウはルイたちに連れられて、城の医務室で休んでいるとルイに聞いた。リュウカンの腕は自分だって知っている。あのくらいの毒ならいとも簡単に薬を調合して直せることも。
レキはレパントとの謁見後、コウの様子を見に行き、三年ぶりに帰る自分の家へと帰るために城を後にした。




自分の家に帰るだけなのに、どれだけの月日が経っただろうか。
家の明かりは点いている。さらに夕飯時とあってか、美味しそうな匂いが家を包んでいた。それは彼の物が作っているのか。一度だって忘れたことのないあいつが作っているのだろうか。
手入れされた庭。春になったらきっと、素敵な花が咲くのだろう。これはきっと、彼女がやったものだ。見ていなくても、それがわかる。
今は一人だ。ビクトールやルック、ルイたちは宿へ行っている。ビクトールに言われ、家へは一人で帰ることになった。不安もあったけれど、ここまで来られたのだから。
扉は開いていた。ノブを回すと、そこには栗色の髪を持った女性が立っていて。懐かしさが一気に心を支配した。

「クレ…オ…」

声を発すると同時に、レキはクレオに抱きついていた。少し高いその身長。いつも傍で見守ってくれて、傍で笑っていてくれて。

「お帰りなさい」

レキの額に、冷たいものが落ちた。顔を上げると、涙で溢れるその瞳で笑っている彼女がいた。

「ずっと、ずっと待っててくれたんだよね…!」

涙は流れないけれど。

「ただいま、クレオ!」

「お帰りなさい、レキ様」

生きていてくれて、待っていてくれて、ありがとう。
言葉としては照れくさくて言えない。だけどずっとずっと、そう思っていた。




そしてレキはクレオに連れられて台所へ向かった。
エプロンをしたその後姿は、何も変わっていない。

「…グレミオ!」

「坊ちゃん…お帰りなさい」

振り向いて、笑って。
三年間待たせていた。三年間、この笑顔を待っていた。
離れてわかった、この人の大切さ。一度目の別れは本当に辛いものだった。だけど二度目の別れは、もう二度と同じ目にあわせないために、自分から離れたものだった。
それがどんなに苦しかったことか。
レキにとっても、グレミオにとっても。

「…一人にさせてごめん…」

グレミオは料理をしていた手を休め、レキの傍に歩み寄った。そして軽く前かがみになり、レキの目の高さに視線を合わせた。

「いいんです。坊ちゃんが無事で…こうしてまた帰ってきてくれたのですから」

微笑んで。

「――グレミオ、ただいま」

クレオと同じ言葉を。

「お帰りなさい、坊ちゃん」

だからここは自分の家だと実感できる。待っていてくれる人のいる温かさ。
おかえり、と言ってくれる人がいて。ただいま、と言える人がいて。
もう少しここにいよう。
三年間という月日を取り戻すために。待たせていた分を取り戻すために。

「…待っていてくれてありがとう」

呟きは、闇夜にとけた。



The End