少しずつ、少しずつでいいんだ。 一度に全部取り戻す必要は無いんだから。 釣りをする人
「何しているの?」 「釣りをしているんだよ」 外套を着た、いかにも旅人であるといった風貌をした少年が優しく答えた。右手には釣竿が握られていて、彼の横には棍と呼ばれる武器が置いてあった。いつでも手にとって戦えるようにしているのだろう。 「釣れる?」 青いワンピースに白いつばのある帽子を被った少女が訊いた。少女は少年の右横に座り、靴を脱いで足を河に入れた。 足をバタつかせ、ピチャピチャと音をたてながら、気持ちよさそうに笑っている。少年はそれを見て魚が逃げるなあと思ったが、楽しそうな少女の姿を横目で見たら、その気持ちを言葉には出来なかった。 「今日はまだ魚を釣り始めたばかりだよ」 少年は頭を掻きながら苦笑する。 よく見ると、少年の後ろにあるバケツには水が多少入っているのみで魚のさの字もなかった。 それでも少年は釣りを続けている。 「お兄ちゃんはずっとここにいるの?」 少女は再び訊ねた。 すると少年は少し考え、 「…釣れるまではここにいるかな」 少女がいなくなるまでは、無理そうだなと思いながら。 「何かお話でもしようか」 「うん!」 黙々と釣りを続ける必要も無かった。それならばと思い、少年はとある物語をし始めた。 トランと赤月帝国との戦争を。 その隠された紋章の事実を。 そして誰に知られることもなく死んでいった彼の友達を。 「トランの英雄にとって彼は一番の親友だったそうだ。 今でもその親友は彼の紋章の中に生き続けているんだって」 少年は少し儚げに、だが笑顔で言った。 少し難しそうな話だったせいか、少女の頭は混乱していたが、笑顔でこう言った。 「英雄さんは色々な人に助けられて英雄さんになったんだね!」 「…そうだね。英雄は一人ぼっちじゃ何も出来ないんだよ」 それが意外な言葉だったのか、少年は驚いた。 そう、英雄は百七の星と共に戦ったのだ。英雄は、多くの仲間と共に戦ったからこそ、英雄と呼ばれるようになったのだ。 子供にとっての英雄像がどんなものかは分からないが、大抵は勇者一人が称えられて、仲間の存在はあまり大きな存在とはならないと思っていた。だが少女は自分の話を聞いて、少なからず英雄が一人ではないということを理解してくれたようだ。 「…お兄ちゃん?どうして泣いているの?」 気づいたら少年の目からは涙が出ていた。 どうしてかは分からない。けれど自然と、自然と出てくる。 「…わからないんだ。どうしてだろう」 少年の手からは釣竿が落ち、地面へと落ちた。手がカタカタと震えている。まるで自分の身体ではないかのように、味わったことの無い感覚が自分を襲う。 「大丈夫だよ。うん、大丈夫だから」 「お兄ちゃんも一人ぼっちなんだね。でも私がいるよ!ずっとずっとこの村にいれば、私も私の家族も皆いるよ!」 名前も知らぬ同士。 それなのに少女は言った。こんな勝手な言動に少年は驚きつつも、その言葉が嬉しかった。そしてその言葉を幾度聞いたことか。 今まで訪れた沢山の村や町で、幾度となく定住を誘う言葉があった。 しかし少年は全てを拒み、旅を続けた。 「うん、ありがとう。でも僕には旅を続ける理由があるんだ」 涙を拭うが、涙が流れた後と目の赤さまではなくならなかった。 「理由?」 「とても大事なこと。その英雄のように僕にも大切な友達がいて…その彼のためにすべきことかな」 そう言うと、彼は歌い始めた。 あの時、彼に教えてもらい、そして少年が彼に教えた歌。月の下で聞く歌はいつも儚いものであったが、太陽の下で歌う歌は、綺麗な曲であると思った。 歌を歌う少年の横顔は少女が見た中で、一番綺麗な顔をしていた。 「お兄ちゃん、名前教えてくれる?」 「…名前は言えない。だけどこれをあげることは出来るよ」 少年は先ほど落としてしまった釣竿を拾い、落とした反動で付いてしまった土を振り落とす。そして綺麗になった釣竿を少女の手に置いた。 そして二人で笑いあう。 「有り難うお兄ちゃん!」 「君が大きくなってその釣竿で大きな魚を釣ったら、名前を教えるよ」 「うん!」 「まだ…仲良くなるのが怖いのかもしれない。 でも、いつかはきっと…」 涙を思い出させてくれた少女。 彼女のことはきっと、忘れない。 The End |