大切なものを守りたいがために、大切なものを失った。 僕はただ、貴方に近づきたかっただけなのに。 だからもう一度、大きなその手を握らせて? 敵味方なんて関係ない。 僕の親として、大きくて暖かいその手を…。 太陽の手 いつか、この日が来ることはわかっていた。 僕がここにいる限り、避けては通れない道。 …父、テオ・マクドールとの戦いである。 目の前にいるその者は、あの時と何も変わっていない。 だけど懐かしく感じるのは何故だろう。久しぶりと感じるのは何故だろう。 ―――それは立場の違い。 もはや目の前にいる人物は父ではなく、敵である帝国軍の将軍なのだ。 そして僕は解放軍のリーダー、レキ・マクドール。 「解放軍軍主にして罪人レキ・マクドール。貴殿に決闘を申し込む」 澄んだ、その声。 その声はもう、手の届かない遠い場所へと向いている。 だけど戸惑いなんてない。いや、戸惑ってはいけない。自分は彼の息子ではなく、解放軍の軍主なのだから。 辺りがシンと静まりかえる。まさに嵐の前の静けさだ。 レキは棍を持つ手を強め、テオに凛とした眼差しを向けた。 「その勝負、受けましょう」 微かなざわめきとどよめき。 だが二人はそれに動じず、それぞれの武器を構えた。 「レキ殿!」 それは制止の声。おそらくマッシュが、ビクトールかフリックのどちらかに止めるように命令した。 だが、その命令を聞くことはできなかった。…これは今までの意味のない戦いと違い、とても意味のあるものだと、戦士である二人にはわかっていたから。 「…マッシュ、これは僕の最初で最後のわがまま。手を出さないでくれ」 低い冷たい声。今までの彼には似つかないその声。 「僕は負けない。死ねない理由がある」 そして二人は睨み合う。 「…感謝する」 一筋の風が吹く。その風は冷たくて重い。 二人はただ睨み合った。それぞれの想いは互いにわからない。 しかし、戦う理由は同じだった。 互いに守らなければいけないものがあり、ここで負けるわけにはいかない。 立場が違うから想いは違えど、生きなければいけない理由は変わらない。 棍を持つレキの右手は、わずかだが震えていた。武者震いとでも云えばいいのだろうか。レキにとって自分が尊敬してやまない人物と戦うことに、躊躇いがないと言えば嘘となる。 今は敵と言っても、彼が親であることは変わりない。たった一人の肉親なのだ。 テオもそれに気づいているだろう。だがこれは戦いだ。震えも何も関係ない。 「かかってこい!レキ・マクドール!!」 その言葉でレキは戸惑いを吹き飛ばす。焼け焦げた大地を蹴り、テオに向かって頭から棍を振り下ろした。 ガキンと金属のぶつかる硬く重い音が、何度も、何度も鳴り響く。 レキの攻撃を、テオは防戦一方で戦い続けた。時たまテオの一振りがあったが、レキはそれを一歩退いてよける。 テオの攻撃を受け止めるには、自分の力では足りない。しかし動きの早さではレキの方が上だった。テオが剣で攻撃を受け止めるのに対して、レキは攻撃が当たる前に身体を動かして攻撃をかわす。 両者とも、額には汗が滲む。それは周りでその勝負を見守る者たちも同じことだ。ゴクリ、と息を呑むものもいる。 レキは率直に強い、と思った。今までに戦った誰よりも。それしか思いつかなかった。決定的な一打を加えるのにはどうしたらいいのか。その一打を与えることが出来たら、彼は一体どうなってしまうのか。 そう思った一瞬の油断の隙に、彼の剣が右ほほをかすめた。 「何を躊躇う!お互いに目指し、信じたものがあるだろうが!」 それは助言だったのか。 テオはその言葉と同時に、レキの身体に向かって剣を大きく振りかざした。 レキはその攻撃で一瞬目を見開いたが、考えることよりも先に身体が勝手に動いた。 ―――僕が目指し、信じたもの。 頭の中でさまざまな記憶が走馬灯のようによみがえる。 大振りになったテオの無防備な懐に、持ち前の素早さを生かして入り込む。そして自分の持つ精一杯の力で棍を急所へと突き当てた。 その攻撃でテオの大きな体は一瞬だが持ち上がり、どさっと地に落ちた。 時が止まったかのように、一瞬何が起きたかわからなかった。 レキ・マクドールの美しい動きに敵味方関係なく、誰もが見惚れていた。 「と…父さん!」 時を動かしたのはレキ・マクドール自身だった。今まで強く握り締めていた棍が、カランと音を立てて手から落ちる。 少年は父の元へと駆け寄り、膝をついた。そして自分が当てた箇所に手を添える。 「…強くなったな、レキ」 消え入りそうな声を発しながら、レキへと微笑みを向ける。それは一人の父親としてのものだった。帝国軍としてのテオ・マクドールではない、レキ・マクドールの父親としてのテオ・マクドールがそこにいた。 「父さん…」 レキもまた、解放軍軍主としてのレキ・マクドールではなく、テオ・マクドールの一人の息子としての姿であった。 父と言うのは久々であった。敵となったその日から、彼は息子であることを捨てたのだから。 「さすが親子とでも言うべきだな…。己の信念のために道を違えないところはそっくりだ…」 テオの大きな手が、レキの頭をくしゃくしゃと撫でる。その手はバンダナごしでもわかるぐらい暖かい、小さいころ僕を包んだ父の手と同じものだった。 今は血にまみれた手でも、大好きな父の手。 「お前の信じた道を歩め。この瞬間、お前は父を越えたのだ」 「父さんっ!」 父は僕の体を抱きしめるように背中に腕を回した。 そうして自分にしか聞こえないくらいの小さな声で、大きくなったな、と言った。 自分は父を尊敬し、いつか父より強くなりたいと願った。永遠に超えられない存在だと思っていたけれど。 こんな形でその夢が叶ったって全然嬉しくもない。喜びなんて生まれなかった。父を超え、これから歩いていく自分を、父は見ることが出来ないのだから。今まで一番その姿を見て欲しかった人物に、見てもらえないのだから。 「レ…キ…」 既に閉じられた瞳。 自分を抱きしめているその身体。同じようにして自分も父を抱きしめた。 その瞬間、父の腕は自分の身体から落ちた。 父の鎧が濡れていた。雨でも降ったのだろうか。…どうでもいいことだった。 それが自分の目から出た涙で濡れていたのだということに、気付くことなどなく。 僕は大好きな父の、大きなその手を抱いた。 その手に比べて、僕の手はちっぽけな存在だった。 小さい頃、父が頭をなでてくれたあの時はまだ綺麗だった僕の手。 だけど今は血で汚れて汚い手。 もう二度と綺麗になることはない、罪人の手。 それは僕の罪の証だったのかもしれない。 The End |