目の前が、真っ暗になった。 初めて夢であって欲しいと思った瞬間であった。 変わらない気持ち
「―――すみません…私の力不足で…」 ホウアンは、呟くように静かに言った。 搾り出すように言ったその言葉は、もちろん自分の耳にも届いていた。だがその言葉を信じることは出来なくて。 信じようと思った。信じなきゃいけないと思った。 でも受け入れることは出来なくて。 気づいた時には走り出していた。シュウを始めとする沢山の人の声が聞こえたが、どれも振り払って走った。 いや、逃げたのだ。現実から、真実から。 泣きたい気持ちも、何もかも抑えて。 ただただ単純に、その場から逃げ出すことで現実からも逃げ出せると思っていた。 ◇
走り始めてからどれくらい経っただろうか。全力疾走で走った身体に、急に疲れが襲ってきた。息も切れ、走るペースもどんどん落ちる。 この丘を越えると、デュナン湖が見える。その意識だけははっきりしていて、普段からあまり人のいないデュナン湖のほとりであれば、泣けるのではないかと思った。いつもならタイ・ホーやヤム・クーたちが釣りを楽しんでいるが、今はきっといないだろう。 「…ルイ?」 ふと呼ばれ、振り返る。 「レキ、さん?」 「どうしたんだい?こんなところでさ」 右手にはいつもの愛用の黒の棍ではなく、釣竿が握られている。どうやら彼は、今の騒ぎを知らないらしい。いつもの読めない表情でこちらへと近づいて来る。 「ナナミが…死んじゃ…」 言葉が詰まる。 今まで抑えていた感情が一気に溢れ出てきた。大粒の涙が、自分の頬を伝うのがよく分かる。我慢していたせいか、どんどん、どんどん涙が出てくる。そして、立っていることさえ辛くなり、その場に座り込んでしまった。泣いたせいか、力が一気に抜けてしまった。 「…そっか」 レキはそれだけ言って、ルイの横に座った。こうやって思い切り泣けるときに泣いておかなければ、自分みたいに、泣きたいときに泣けない人間になってしまう。 嗚咽だけが隣から聞こえてくる。自分もこれだけ素直な人間だったらなあと思う。 「話、聞いてもらえますか…?」 涙でぐしゃぐしゃな顔をこちらに向けながら言った。レキは「いいよ」と首を縦に振る。 ルイは手袋で涙を拭きながら、静かに口を開いた。所々嗚咽を含みながらだったが、全く聞き取れないというほどでもなかった。 ロックアックス城に攻め込んだ際、ゴルドーの部下によって放たれた矢でナナミが倒れたこと。そして、少し前に息を引き取ったこと。 レキはそれを黙って聞いていた。ロックアックス城に攻め入ったことは聞いていた。今更ながら、自分が付いていかなかったことが悔やまれる。もしかしたら救えた生命があったかもしれないのだ。だが、逆に、奪ってしまう生命があったのかもしれない。左手で右手をぎゅっと握り締める。 「レキさんの言ったとおりだった。僕は守られてばっかり。守られるだけの存在にはならないと誓ったのに」 マクドール家にベランダで誓ったレキとの約束。 「こんな風になるんだったらリーダーになんかならなきゃ良かった!」 『こんな思いをするなら解放軍なんて!』 あの時の記憶と、重なる。初めて大切な人を失ったときの気持ちと。 ああ、やっぱり似ているんだな。思わずフッと笑みがこぼれる。不謹慎だとは思いながら。 「リーダーを辞めるの?それで君を信じて死んでいったナナミはどうなる?」 ルイの方に視線を向けると、そこには三年前の自分がいた。同じように悩み、苦しみ、哀しんでいる。そして、ルックに言われたことを、ルイに言っている。 レキの問にルイは何も答えなかった。 いや、言えなかったのだろう。自分も、抵抗することも何も出来なかった。 「…ルックの受け売りなんだけどさ。君は僕のようになっちゃ駄目」 哀しい、けれど真剣な目でルイを見つめた。ルイもその視線に気付いたのか、顔を上げてレキの方を見た。紫の瞳が涙でぐしゃぐしゃな自分の顔を映している。 「前に進みなよ。守られるだけの存在になりたくないんだったら、誰よりも前に行きなよ」 それがどんなに難しいことであったとしても。 「前に進む勇気がないリーダーも下になんて、誰にいたくない」 「それなら僕はリーダーにはなれないですよ!」 パシンッ!! 「な…何するんですか!?」 ルイは痛そうに右頬を触れた。そこは赤に近いピンク色に染まり、少し腫れているような気がする。 「君にリーダーの資格なんかない!今まで沢山の人を殺してきたって云うのに、いざ自分の姉が死んだら人を殺したくない!?…甘ったれるな!」 いつも優しく見守ってくれていたレキとは違っていた。 それは戦闘中に見せる表情と言っても過言ではないぐらい、いつになく真剣な表情であった。怒りのせいか、身体が少し震えている。 「―――もう君には協力できない。…君の気持ちが変わるまではね」 そう言って立ち上がり、背を向けた。何も言わずに歩みを進めていく。 ルイにはその背中がとても大きく見えた。 それは、ナナミがいつも見せた、大きな背中。僕を庇ってくれた背中と同じ。 「レキさん!」 何も言わずに、顔だけ振り返る。 「…どうすれば、どうすればいいんですか…?」 また涙が出てくる。止まる気配は一向に無く、身体にある水分がなくなるまで出てきそうだ。 だけど泣いてばかりはいられない。前へ進むしかないと思った。 哀しみを引きずるだけでは、何もない。失ったものはそのままで。それでは自分もその失ったものと同じ存在になってしまう。 「自分で答えを見つけなければ前へは進めない。 とりあえず城に戻った方がいい。今の状況をシュウから聞いて、そして自分で考えるんだ」 それだけを言って、レキはその場を去ってしまった。 残されたルイは、涙を拭い、ただ身体が動くままに身を任せ、走った。濡れた頬が風に当たり、自分の存在を確かめてくれているようだった。 「ナナミじゃない誰か…誰かが死んだ。やっぱり僕はここにはいられないんだな」 遠ざかっていく背中を見て、レキは寂しそうに言った。 「偉そうなことだけ言って、自分は逃げてる。 ルイ…僕は君が思っているような人じゃない。君は一人でも歩いていける」 それだけをもう見えないその人物に言い、彼はその場から、その戦争から姿を消した。 ◇
まだ哀しみに沈む城は夕焼けによって綺麗に彩られ、綺麗だった。デュナン湖もいつもの澄んだ青色ではなく、オレンジ色に染まっていた。 それはまるで絵に描いたようなもので。 城に少なからず明るいものをもたらしてくれていた。 「ルイ…」 それを発したのは誰だったのだろうか。皆は会議室へと集まり、次の戦いに向けての準備をし始めていた。その中、静かに扉を開けて入ってきたルイに一斉に視線が向けられる。 ルイは堂々と歩いて、シュウの前へと立った。 「心配かけて、ゴメン。でも僕なりに考えて戻ってきた。 これからも同盟軍の軍主として頑張る…これからも傍にいてくれるかな、シュウさん」 「心配はしていませんよ。あなたは必ず戻ってくると信じていましたから」 それはいつもと変わらないシュウのきつい言葉。 それを聞いて、今の自分の居場所はここしかない、と実感できた。 「みんな!もうすぐ、もうすぐ決着が着くんだ!最後まで頑張ろう!!」 右手を大きく、堂々と掲げる。 それに会議室に集まる皆が答え、歓声が上がった。 その声は外にまで聞こえていたのか、どんどん大きくなり、城全体が一体化していた。 夕焼けは燃える赤。同盟軍の色。 空も同盟軍を応援しているような光景だった。 The End |