目の前が、真っ暗になった。
初めて夢であって欲しいと思った瞬間であった。




変わらない気持ち




「―――すみません…私の力不足で…」

ホウアンは、呟くように静かに言った。
搾り出すように言ったその言葉は、もちろん自分の耳にも届いていた。だがその言葉を信じることは出来なくて。
信じようと思った。信じなきゃいけないと思った。
でも受け入れることは出来なくて。
気づいた時には走り出していた。シュウを始めとする沢山の人の声が聞こえたが、どれも振り払って走った。
いや、逃げたのだ。現実から、真実から。
泣きたい気持ちも、何もかも抑えて。
ただただ単純に、その場から逃げ出すことで現実からも逃げ出せると思っていた。




走り始めてからどれくらい経っただろうか。全力疾走で走った身体に、急に疲れが襲ってきた。息も切れ、走るペースもどんどん落ちる。
この丘を越えると、デュナン湖が見える。その意識だけははっきりしていて、普段からあまり人のいないデュナン湖のほとりであれば、泣けるのではないかと思った。いつもならタイ・ホーやヤム・クーたちが釣りを楽しんでいるが、今はきっといないだろう。

「…ルイ?」

ふと呼ばれ、振り返る。

「レキ、さん?」

「どうしたんだい?こんなところでさ」

右手にはいつもの愛用の黒の棍ではなく、釣竿が握られている。どうやら彼は、今の騒ぎを知らないらしい。いつもの読めない表情でこちらへと近づいて来る。

「ナナミが…死んじゃ…」

言葉が詰まる。
今まで抑えていた感情が一気に溢れ出てきた。大粒の涙が、自分の頬を伝うのがよく分かる。我慢していたせいか、どんどん、どんどん涙が出てくる。そして、立っていることさえ辛くなり、その場に座り込んでしまった。泣いたせいか、力が一気に抜けてしまった。

「…そっか」

レキはそれだけ言って、ルイの横に座った。こうやって思い切り泣けるときに泣いておかなければ、自分みたいに、泣きたいときに泣けない人間になってしまう。
嗚咽だけが隣から聞こえてくる。自分もこれだけ素直な人間だったらなあと思う。

「話、聞いてもらえますか…?」

涙でぐしゃぐしゃな顔をこちらに向けながら言った。レキは「いいよ」と首を縦に振る。
ルイは手袋で涙を拭きながら、静かに口を開いた。所々嗚咽を含みながらだったが、全く聞き取れないというほどでもなかった。
ロックアックス城に攻め込んだ際、ゴルドーの部下によって放たれた矢でナナミが倒れたこと。そして、少し前に息を引き取ったこと。
レキはそれを黙って聞いていた。ロックアックス城に攻め入ったことは聞いていた。今更ながら、自分が付いていかなかったことが悔やまれる。もしかしたら救えた生命があったかもしれないのだ。だが、逆に、奪ってしまう生命があったのかもしれない。左手で右手をぎゅっと握り締める。

「レキさんの言ったとおりだった。僕は守られてばっかり。守られるだけの存在にはならないと誓ったのに」

マクドール家にベランダで誓ったレキとの約束。

「こんな風になるんだったらリーダーになんかならなきゃ良かった!」
『こんな思いをするなら解放軍なんて!』

あの時の記憶と、重なる。初めて大切な人を失ったときの気持ちと。
ああ、やっぱり似ているんだな。思わずフッと笑みがこぼれる。不謹慎だとは思いながら。

「リーダーを辞めるの?それで君を信じて死んでいったナナミはどうなる?」

ルイの方に視線を向けると、そこには三年前の自分がいた。同じように悩み、苦しみ、哀しんでいる。そして、ルックに言われたことを、ルイに言っている。
レキの問にルイは何も答えなかった。
いや、言えなかったのだろう。自分も、抵抗することも何も出来なかった。

「…ルックの受け売りなんだけどさ。君は僕のようになっちゃ駄目」

哀しい、けれど真剣な目でルイを見つめた。ルイもその視線に気付いたのか、顔を上げてレキの方を見た。紫の瞳が涙でぐしゃぐしゃな自分の顔を映している。

「前に進みなよ。守られるだけの存在になりたくないんだったら、誰よりも前に行きなよ」

それがどんなに難しいことであったとしても。

「前に進む勇気がないリーダーも下になんて、誰にいたくない」

「それなら僕はリーダーにはなれないですよ!」

パシンッ!!

「な…何するんですか!?」

ルイは痛そうに右頬を触れた。そこは赤に近いピンク色に染まり、少し腫れているような気がする。

「君にリーダーの資格なんかない!今まで沢山の人を殺してきたって云うのに、いざ自分の姉が死んだら人を殺したくない!?…甘ったれるな!」

いつも優しく見守ってくれていたレキとは違っていた。
それは戦闘中に見せる表情と言っても過言ではないぐらい、いつになく真剣な表情であった。怒りのせいか、身体が少し震えている。

「―――もう君には協力できない。…君の気持ちが変わるまではね」

そう言って立ち上がり、背を向けた。何も言わずに歩みを進めていく。
ルイにはその背中がとても大きく見えた。
それは、ナナミがいつも見せた、大きな背中。僕を庇ってくれた背中と同じ。

「レキさん!」

何も言わずに、顔だけ振り返る。

「…どうすれば、どうすればいいんですか…?」

また涙が出てくる。止まる気配は一向に無く、身体にある水分がなくなるまで出てきそうだ。
だけど泣いてばかりはいられない。前へ進むしかないと思った。
哀しみを引きずるだけでは、何もない。失ったものはそのままで。それでは自分もその失ったものと同じ存在になってしまう。

「自分で答えを見つけなければ前へは進めない。
とりあえず城に戻った方がいい。今の状況をシュウから聞いて、そして自分で考えるんだ」

それだけを言って、レキはその場を去ってしまった。
残されたルイは、涙を拭い、ただ身体が動くままに身を任せ、走った。濡れた頬が風に当たり、自分の存在を確かめてくれているようだった。

「ナナミじゃない誰か…誰かが死んだ。やっぱり僕はここにはいられないんだな」

遠ざかっていく背中を見て、レキは寂しそうに言った。

「偉そうなことだけ言って、自分は逃げてる。
ルイ…僕は君が思っているような人じゃない。君は一人でも歩いていける」

それだけをもう見えないその人物に言い、彼はその場から、その戦争から姿を消した。




まだ哀しみに沈む城は夕焼けによって綺麗に彩られ、綺麗だった。デュナン湖もいつもの澄んだ青色ではなく、オレンジ色に染まっていた。
それはまるで絵に描いたようなもので。
城に少なからず明るいものをもたらしてくれていた。

「ルイ…」

それを発したのは誰だったのだろうか。皆は会議室へと集まり、次の戦いに向けての準備をし始めていた。その中、静かに扉を開けて入ってきたルイに一斉に視線が向けられる。
ルイは堂々と歩いて、シュウの前へと立った。

「心配かけて、ゴメン。でも僕なりに考えて戻ってきた。
これからも同盟軍の軍主として頑張る…これからも傍にいてくれるかな、シュウさん」

「心配はしていませんよ。あなたは必ず戻ってくると信じていましたから」

それはいつもと変わらないシュウのきつい言葉。
それを聞いて、今の自分の居場所はここしかない、と実感できた。

「みんな!もうすぐ、もうすぐ決着が着くんだ!最後まで頑張ろう!!」

右手を大きく、堂々と掲げる。
それに会議室に集まる皆が答え、歓声が上がった。
その声は外にまで聞こえていたのか、どんどん大きくなり、城全体が一体化していた。
夕焼けは燃える赤。同盟軍の色。

空も同盟軍を応援しているような光景だった。




The End