そのときの僕にとって、世界の全てが敵だった。 なんで僕だけがこんなに哀しまなくてはいけないの? どうしてこんなに苦しまなくてはいけないの? 生死をかけてまで僕が戦いに参加する理由はないのに。 身近な人も、大事な人もいなくなって、何も知らない人は喜んで。 ドウシテ笑ッテイラレルノ? 僕は、本当は、泣いているのに。 人の形をしたモノ
「何をしてるんだい?」 真夜中の屋上。 今宵は新月であった。闇夜を照らす月の光もなく、城から漏れている光だけが世界を照らし出している。この世は、こんなにも闇に包まれた世界だったのか。ふと、そんなことを思わせる光景であった。 ルックはそんな世界の中で、奇妙な紋章の気配を感じ取った。転移魔法をいつものように使って屋上へとやってきた。そして、そこで佇む小さな背中を見つけた。 冷たい風が新緑色と紫色のバンダナとともに、闇と同化している髪を揺らす。ルックの茶色い髪も揺れ、少し長いその髪は視界の邪魔をしていた。 それでも目の前にいるのが自分たちのリーダーというのは分かる。 その後姿を、幾度となく見てきたことだ。 しかし今の彼の後姿は、いつもの頼りある背中ではない。人々の先頭に立ち、誰かを守っているものではない。小さく、弱弱しいものであった。 「―――感情も嘘をつくのかな」 そう言って。 やや躊躇しながら、ルックのほうへと振り返る。 その顔は今にも壊れてしまいそうで。無理して笑っているのが一目で分かり。 目の前にいるのが今まで激戦を繰り抜けてきた軍のリーダーとは思えないぐらい、彼はまるで幼い子供のようだった。 どうしたらいいのか分からない。どうしていいのか分からない。 右も左も目新しいものばかりで、何をどうしたらいいのか分からない。 「それは君のことかい?」 「分からないから、聞いてるんだ」 自嘲気味に笑いながら、彼は立ち上がった。 「…少なくとも今は泣いていいと思うけど?ここには君の泣く姿を見て哀しむ人間はいないしね」 そんなレキをルックは見ていられなかった。 今まで色々な人間を見てきた。醜い欲望の塊ばかりを持つ人間ばかりであった。しかし彼は違う。唯一ココロを開いて良い人間だと思った。 何故かは分からない。 カズスクナイドウシダカラ? だけど、今のレキを同士であるとは思えなかった。 言葉では表せない。けれど何かがいつもと違う。 「ルックは僕を見て哀しまない?」 「僕が涙を流すとでも君は思うのかい?冗談じゃない」 「でもルックは僕以上に苦しんでいるように見えるよ? …確かに今の僕は自分でも不安定だって分かる。 今だって紋章の力を押さえつけるに精一杯だ。だけどルックは……」 そこまで言って、また背を向けてしまった。 近くて遠い、大きく見えて小さいその背は、誰かが支えてあげないといけなかった。 だけどそれを支えてあげられる者は皆、いなくなってしまった。 悪い言い方をすれば、自らその人たちを殺した。飲み込んでしまった。巻き込んでしまった。 父も、母に近き存在だった者も、親友も、はては名も知らぬ解放軍や帝国軍の兵までも。 彼が心から許していたものはもはやこの世にはなく、彼はこの世で一人ぼっち。 この世を光でたとえるのなら、彼はその中の闇のような存在。 支える人がいなくなって、そのことを知っているから、彼は光を受け入れない。 受け入れたらまたそれは自分の手元からなくなってしまう。 それの繰り返し。 永遠の循環。 彼の中に光は永遠に存在できないのだ。 「だからここで感情を押し殺して、闇に紛れようとしているのだったら意味がないよ? 僕はそんな軍主の下にいようと思わないね。仲間のことを信じようとしない軍主を仲間は信じようとする? あんたは自分勝手だ。自分だけ傷ついていると思ってる」 珍しく、ルックが感情的になっていた。 そのことに、自分でも驚いた。 何故かと聞かれても多分分からない。知ろうとも思わない。 「それに僕を心配する前に自分を心配した方がいいとか思わないのかい? あんたは今にも壊れそうだ。たった一枚のガラスのように、少し手を加えるだけで壊れてしまいそうな…」 「…考えてるよ。でもますます分からなくなるんだ、自分のことが。 オデッサさんも父さんもグレミオもテッドも…僕に何を求めた? 僕に生きてもらいたいって…僕が生きて何が変わる?本当に戦争は終わるの? 僕が戦争に関わっていくたびに、誰かが死ぬ。こいつが喜んでいるのが…よく分かる」 手袋の中に隠された紋章。人が死ぬたびに、疼いているのが感じ取れる。しかも自分の大切な人が死んだ時に、それは特に強い喜びを感じていた。 「人が死ぬのが怖い。でもやらなければいけないんだ」 生暖かいものが頬を伝わる。視界が自然とぼやけていく。頬を伝わるそれを、最後に認識したのはいつだっただろうか。 解放軍軍主となったその日から、僕は人間であることを捨てた。 『レキ・マクドール』という一人の人間としてではなく、『解放軍軍主』として生きていくことを決めた。 そのように自分を戒め、僕は人殺しの道を歩み、戦争終結へと人々を導く。 僕は、『解放軍軍主』という名の付いた人形なんだ。 そう、例えるのなら人形であった。 人形には心がない。だから人間が痛いと思う行為をしても何も言わない。何も感じずに、ただそこに存在するだけ。 役に立ちさえすればいい。 存在価値はたったそれだけ。 いらなくなったら捨てればいい。 「あんたは何のためにここにいるのさ」 「…守らなければいけない人がいるから」 「それが戦う理由じゃないの?あんだがここにいる理由じゃないの?」 「分かってるんだ!!…本当は、分かってるんだ…」 声を荒げながら、言う。風のせいか、その恐怖心のせいか、レキの身体がブルッと震える。 それを押さえ込むようにレキは自分を抱きかかえるようにしていた。 涙は止まらない。 「好きなだけ泣きなよ。好きなだけ笑いなよ。それをきっと、みんなは望んでる。 君は、人間なんだから」 ルックの一つ一つの言葉がレキに残る。 簡単に言っているようだけど、その言葉の一つ一つがとても重みがあって。 今のレキにとっては、そういう言葉のほうが慰めの言葉にしては丁度良かったのかもしれない。 感情はよくわからない。 涙だって哀しいときや苦しいときに流れるけど、嬉しいときにだって流れる。 「…ありがとうルック」 届くのか届かないかの微妙な声だったが、ルックにはしっかりと届いていた。 ちょっと照れくさそうに頬を赤くしながら、じゃあねと言って再び転移魔法で去っていった。 ルックの魔法の風でまた自分のバンダナが揺れる。 それは先ほどのように冷たくはなく、暖かいものに感じられた。 「好きなだけ泣いて、好きなだけ笑う、か…」 でも、それでも。 僕はリーダーだから。 戦争を終わらせなければならない希望だから。 そのための人形だから。 The End |