ねえどこにいってしまったの? 僕はここで待っているのに。一人ぼっちはいやなんだ。 どうして…どうして…僕じゃ駄目なの? 早く、速く、僕のところへ帰ってきて。いなくならないで。 そこに自分が望んだものは残っていなかった。 少年は夢を見ていた。戦争が終わってから、ずっと。 死んだように眠り、あの日以来目を覚ますことはない。 医者であるホウアンにもその訳は分からない。ただそれが精神的なものということだけは分かっている。 まだ幼い。そう言ってしまえば簡単だ。 だけどそんな一言で片付くようなことではない。彼にとってはその言葉が一番辛いものなのだ。 この二年間の戦いで彼は沢山のものを失った。失いすぎた。 綺麗だった、傷一つなかったその心は、ズタズタに切り裂かれ、この年にしてすでにボロボロで。 慰めの言葉はただ辛いだけ。傍にいて欲しかった人もいなくなった。 ただ後悔だけが残る。 だけど彼はこの国を救った英雄なのだ。それには嘘偽りはない。 彼はこれから戦争と同じくらいの辛い苦しみを背負うことになるだろう。 「英雄と言われても人殺しには変わりない、か」 「あいつが言ったことか?…確かにそうだな」 ふと呟いた言葉が数メートル離れたフリックにも聞こえていたようで。 振り向かずにただ自分のリーダーの顔だけを静かに見た。 部屋にはビクトールとフリックとシュウがいる。三人とも会話をするわけでもなく、少年が目覚めるのをただただ待っていた。 「それを言ってはキリがないですよ。彼だけに罪を背負わせてはいけないのです」 コポコポとコーヒーを淹れながら言う。そこからコーヒーの暖かい匂いがたちこみ、部屋はその雰囲気に包まれる。 「分かってる。だけど俺たちがそう認識していても世間一般がそれを認識しないからな。 それともそれを認識させるのも軍師様のお仕事か?」 皮肉を込めて、言う。 シュウはコーヒーを一口飲み、口元をわずかに歪めた。 「それは我々の仕事ではありません。それがあなたの言う、世間一般の人たちの出来る唯一の仕事なんです」 「はは、そうだな。ルイが目覚めるまでにそれが叶えばいいけどな」 そう言ってシュウの淹れたコーヒーを飲む。 まだ淹れたてで、心が温まる。気分まで良くなる、そんなような味だった。 だけど本当のことを言うと、気分は晴れない。目の前にいる人物が目覚めるまでは。 三人はその後、特に会話をするわけでもなく、ただその人物の目覚めを待っていた。 目の前に広がっていたのは草原だった。 何もない、ただ草だけが生え誇る。自分の服の赤が良く映えている。 ポツンと、一つ。 本当に何もないその場所に恐怖を覚えてしまう。 「一人は嫌…っ!」 その叫びも、ただ消えるだけ。 少年は全身の力が抜けてしまったように、へたりと座り込んでしまった。 一人という恐怖心からか、身体は震え、涙まで出てくる。 それを押さえ込むように自分を抱きかかえるが、だがそんなことで止まるほどのものではなかった。 「怖いよ…誰か助けて…」 声にならない声。かすれた声。 「やっぱりルイはお姉ちゃんがいないと何も出来ないんだね?」 その声で、はっと気付く。 それは、それは今一番見たかったもので。幾度となく自分を励ましてくれた、あの。 いつもの笑顔でこちらを微笑むナナミは、手を差し出すこともなく、ただそこに立っていた。 「…どうして…どうしてここにいるの…?」 「あなたが呼んでいたから。ルイは…ルイはお姉ちゃんたちと一緒にいたい?それともシュウさんの所に戻る?」 感情のこもっているようでこもっていないその台詞。 そして目の前にいるナナミ。 現実なのか夢幻なのか、わからない。 だけど逢えただけで、またその笑顔が見られただけで嬉しかった。それが素直な気持ち。 だけど…だけど何かが違う。 ――彼女は僕の腕の中で静かに眠っていったんだ。 でも自分の気持ちに嘘はつけない。つけなかった。 「皆と…皆と一緒にいたい…っ!ナナミも…ジョウイも…シュウも…レキさんも…皆で…っ!」 そう叫んでナナミの手を掴もうとした。だけどそれも叶わない。 その手はそこになくて。 「…っ!」 その時、ここは夢なのだと分かった。 涙はすでに止まり、乾いている。そこが無性にむず痒い。だけどナナミから目を逸らすことはできなかった。 今逸らしてしまったらその姿を、動いている姿を見ることはできなくなってしまうと思ったからだ。 「…そう、ルイはここにいちゃいけない存在なんだよ。でもみんな見てるから。ルイが頑張っている姿を、その生きている姿を」 始まりの紋章が輝きだす。 淡い、だけど強いその光が、ナナミを包んだかと思うと、そこに草原はなくなっていた。 あるのはただの白い空間。 そして目の前にいる、見覚えのある人たち。 「ジョウイ…みんな…」 そこにいたのはこの戦争で自分の前からいなくなった人たちだった。 また涙が出てくる。 もう顔がくしゃくしゃだった。鏡を見なくても分かるぐらい、そう感じられる。 自分は器用じゃない。感情表現は豊かでも、それをコントロール出来るほどの力はない。 だけど今は笑うしかないと思った。目の前にいる彼らは自分を信じてくれている。心配をかけてはいけない。 そうすれば皆が答えてくれる。そう自分も信じなければならない。 「僕らはルイをずっと見守っているよ。僕らが信じた君を…」 「…頑張るから…皆が幸せになれる世の中を作るから…!」 涙は止まらない。だけどこれは哀しいのではない。嬉しいのだと。 そしてルイは再び闇へと身体を埋めていった。 その身体の変化に気付いたのはフリックだった。 眠っていた少年が涙を流し始め、ずっと何かを呟いている。内容までは聞き取れないのだが。 それを見たビクトールがホウアンを呼びにいった。 「意識が戻り始めているようですね。もうじき目覚めるでしょう」 いつもの笑顔でそう伝える。その笑顔で患者も、そして他の人も安心ができる。 「…ホウアン…先生…?」 「ルイ!」 そう叫んだのはビクトールだったのか、フリックだったのか、ルイには分からなかった。 だけど二人の目には涙とまでは云えないが、うっすらとその視線がぼやける。 嬉しさ、だった。 「…夢を見てた。心配かけて、ごめんね」 ルイはホウアンに支えられながら身体を起こすと、シュウの方に顔だけ向けた。 本当に申し訳なさそうに、でもリーダーとして指揮していたときのような顔をした。 「シュウ。頼りないリーダーかもしれない。またいつ倒れるかわからない。 だけど頑張る。僕ができること、僕にしかできないこと。…約束したから」 「頼りないからこそ私がいるんですよ」 「一本取られたなルイ!」 ビクトールがそう言って高笑いをあげる。 それにつられて、フリックもホウアンもルイもシュウも笑う。 その部屋はいまだコーヒーの匂いで包まれていた。 暖かい、気持ちのいい春はもうそこまで来ていた。 The End
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